2007.09.20
『ありがとう』という言葉の由来
『ありがとう』は漢字で書けば『有難う』。
『ありがとう』は、実は仏教に由来する言葉だそうです。
もとになったお話を紹介します。
お釈迦さまがあるとき、阿難(あなん)というお弟子に、
「そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?」 と尋ねられた。
「はい。大変よろこんでおります。」 と阿難は答えた。お釈迦さまが、
「では、どれくらい喜んでいるか?」 と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮した。
するとお釈迦さまは、一つの例え話をされた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは今日、 盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」と言われているお話
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「果てしな〜く広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その亀は、100年に1度、海面に顔を出すのだ。
広〜い海には1本の丸太棒が浮いている。
その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
丸太棒は、風のまにまに、波のまにまに、
西へ東へ、南へ北へと、漂っているのだ。
阿難よ。
100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、
浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、ひょいっと
頭を入れることが有ると思うか?」
聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません。」 と答えた。
「では、絶対にない、と言い切れるか?」 お釈迦さまが念を押されると、
「何億年×何億年、何兆年×何兆年の間には、
ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
ない、と言っても良いくらい難しいことです。」 と阿難が答えると、
「ところが、阿難よ。
私たちが人間に生まれることは、
その亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、
難しいことなんだ。
有難いことなんだよ。」 とお釈迦様は仰った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と教えられています。
『有難い』とは、『有ることが難しい』ということで、
『めったにない』ということ。
それほど、人間に生まれてくることは喜ぶべきことなんだ、
と教えられているのですが、喜んでいるどころか、
「何で生まれてきたのだろう…?」
「人間に生まれさえしなければ、
こんなに苦しまなくて良かったのに…」
と恨んでいる人さえあります。
それは、結局、
自分が何のために人間に生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜ苦しくとも生きねばならないのか、
という“生きる目的”がわからないからだ、と言われます。
生きる目的を知らされ、生きる意味をハッキリ知らされた時、
「生まれ難い人間に生まれることが出来て良かった!!」と
心から喜べるんですよ、と教えられています。
家が仏教である、おじいちゃんやおばあちゃんなら、
おそらくは、よく知っている言葉、
「人身受け難し 今已に受く」
というお釈迦さまの言葉は、
「生まれ難い人間に生まれることが出来て良かった!!」
という喜びの言葉として知られています。
だから、『ありがとう』という言葉には、
人間に生まれてくることが如何に有難いか、
人として生まれてきたことを本当に喜べる幸せになれよ、
というメッセージが込められています。
こんな、有難い中、人間に生まれる事が出来、
そして、大切に思える人と出会う事が出来たという事は、
有難いうえに、有難い事・・・めったにない事。
出会えた奇跡に感謝したい。
たとえ、どんな関係性になろうとも・・・
『あの日、あの時、あの場所で、
きみに会えなかったら、
僕らはいつまでも、見知らぬ二人のまま・・・』
この言葉が心に響きます。
出会いは必然です。
遠い遠い過去からの約束です。
だけど、この今という時に、この広き世界で、
本当に出会えるということは、
目に見えない力を感じずにはおれません。
有難き、有難きこと。。。
出会いの不思議。。。
仏縁も然り。
読んでくれて、ありがとう。^^
合掌
和歌山の 心と体の リラクゼーションサロン 癒しのショコラ
『ありがとう』は、実は仏教に由来する言葉だそうです。
もとになったお話を紹介します。
お釈迦さまがあるとき、阿難(あなん)というお弟子に、
「そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?」 と尋ねられた。
「はい。大変よろこんでおります。」 と阿難は答えた。お釈迦さまが、
「では、どれくらい喜んでいるか?」 と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮した。
するとお釈迦さまは、一つの例え話をされた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは今日、 盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」と言われているお話
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「果てしな〜く広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その亀は、100年に1度、海面に顔を出すのだ。
広〜い海には1本の丸太棒が浮いている。
その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
丸太棒は、風のまにまに、波のまにまに、
西へ東へ、南へ北へと、漂っているのだ。
阿難よ。
100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、
浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、ひょいっと
頭を入れることが有ると思うか?」
聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません。」 と答えた。
「では、絶対にない、と言い切れるか?」 お釈迦さまが念を押されると、
「何億年×何億年、何兆年×何兆年の間には、
ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
ない、と言っても良いくらい難しいことです。」 と阿難が答えると、
「ところが、阿難よ。
私たちが人間に生まれることは、
その亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、
難しいことなんだ。
有難いことなんだよ。」 とお釈迦様は仰った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と教えられています。
『有難い』とは、『有ることが難しい』ということで、
『めったにない』ということ。
それほど、人間に生まれてくることは喜ぶべきことなんだ、
と教えられているのですが、喜んでいるどころか、
「何で生まれてきたのだろう…?」
「人間に生まれさえしなければ、
こんなに苦しまなくて良かったのに…」
と恨んでいる人さえあります。
それは、結局、
自分が何のために人間に生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜ苦しくとも生きねばならないのか、
という“生きる目的”がわからないからだ、と言われます。
生きる目的を知らされ、生きる意味をハッキリ知らされた時、
「生まれ難い人間に生まれることが出来て良かった!!」と
心から喜べるんですよ、と教えられています。
家が仏教である、おじいちゃんやおばあちゃんなら、
おそらくは、よく知っている言葉、
「人身受け難し 今已に受く」
というお釈迦さまの言葉は、
「生まれ難い人間に生まれることが出来て良かった!!」
という喜びの言葉として知られています。
だから、『ありがとう』という言葉には、
人間に生まれてくることが如何に有難いか、
人として生まれてきたことを本当に喜べる幸せになれよ、
というメッセージが込められています。
こんな、有難い中、人間に生まれる事が出来、
そして、大切に思える人と出会う事が出来たという事は、
有難いうえに、有難い事・・・めったにない事。
出会えた奇跡に感謝したい。
たとえ、どんな関係性になろうとも・・・
『あの日、あの時、あの場所で、
きみに会えなかったら、
僕らはいつまでも、見知らぬ二人のまま・・・』
この言葉が心に響きます。
出会いは必然です。
遠い遠い過去からの約束です。
だけど、この今という時に、この広き世界で、
本当に出会えるということは、
目に見えない力を感じずにはおれません。
有難き、有難きこと。。。
出会いの不思議。。。
仏縁も然り。
読んでくれて、ありがとう。^^
合掌
和歌山の 心と体の リラクゼーションサロン 癒しのショコラ
theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
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