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仏教のプロセス

久しぶりに米原に仏教の勉強に行ってきました。
講師が急に葬儀をつとめることになり、
朝から夕方までいなくなってしまったので、
午前中は、他の先生が、時間を作ってくださり、
とても難しい仏教のお話を、とても分かりやすく教えてくださいました。
浄土真宗の根基、『三願転入』のお話でした。
ここにそれを書けるかが問題なのですが、やってみたいと思います。
お昼からはまた別の方が、私の先生の代わりに講演会を行われて、
そこでも、自信教人信のお話をお聞きしました。
講演会の場所は、息吹山の近くで自然がいっぱいで、まだ山桜も残っていて、
とても空気が心地良かったです。帰りにミルクファームというところで、
とっても美味しいアイスクリームをご馳走してくださいました
固まっていた頭が一気にゆるみました♪(=^▽^=)
夕方からは、私の先生と一緒にいましたが、すでに頭がいっぱいいっぱいで、
先生が何を話してくれたのか忘れてしまいました。。。 でも、
今までずっと聞かせてもらってきて心に染み込んでいる教えがありますので、
今回別の先生に教えてもらった教えと合わせて、ここにお伝え致します。

 
阿弥陀仏は、48のお約束をしておられます。弥陀の四十八願といいます。

その中で3つ、「あらゆる人を救う」と誓われた願があります。
十八願、十九願、二十願です。
この三願について、理解した部分だけお伝えしたいと思います。

十八願は、阿弥陀仏が
「どんな人をも、必ず、真実の幸福に救う」
と、阿弥陀仏の本心を誓われたもので、王本願といいます。

私達人間は、この世限りの幸せしか頭になくて、
この世の幸せは自らの力で手にする事が出来るから、それを全てと思い、
自惚れ、満足し、目に見えない世界を知ろうともしない、
そんな私達人間を、この世限りではない真の幸せに導く事は大変難しいので、
真の幸せに救う為には、たくさんの数知れない方便が必要でした。

十九願、二十願は、そのために誓われたものです。 すなわち、方便です。
ここで、方便とは、真実へと導く為に絶対に必要なものを言います。
分かりやすく言いますと、
十八願にたどりつく為には、十九願と二十願を通過しなければなりません。
十八願は目的で、十九願、二十願は、そのプロセスです。
善導大師は、十九願を要門、要の教えと言われました。
絶対必要で重要なものなのです。


十九願を、大無量寿経に、
 
設我得仏 十方衆生
発菩提心 修諸功徳
至心発願 欲生我国
臨寿終時 仮令不与
大衆囲繞現其人前者
不取正覚


私が仏になりましたならば、(設我得仏)
すべての人々が、((十方衆生)→約束の相手 )
本当の幸せになりたいという心を持ち、(発菩提心)
阿弥陀仏の極楽浄土に行きたい(欲生我国)という
純粋な心(至心)で願いを起こし、(発願)
仏教で教える諸々の善(諸功徳)を行い、(修諸功徳)
その命の終わる時(臨寿終時)に、
諸仏菩薩で取り囲んで(大衆囲繞)、
その人の前に現れましょう。(現其人前者)
もしそれが出来なければ、仏の覚り((正覚)仏の命 )を捨てます。

と、約束なされています。

釈尊が説かれた一切経は、99%、十九願の御心を徹底して教えられたもの。
十九願は、修諸功徳の願と言われ、釈尊は善行をすすめておられます。
善をすることによって、善が間に合って、救われて、
極楽浄土に行けるのではなく、
善を徹底的にやらなければ、信仰がすすまず、二十願には入れないのです。
何が善で、何が悪かも分からない私達です。
純粋な善など、到底出来そうもありませんが、
最初からやってもしょうがないからと、
開き直って何もせずに、ただ念仏を称えていなさいとは、
お釈迦様は仰っておられません。

十九願で、因果の道理のもと、全力を尽くして善行をやってみると、
善行をしながら、その心根にある悪性ばかりが知らされて、
何が善かも何が悪かも分からない、善など、ひとつも出来ない自分を知り、
こんな自分が救われるには、念仏にすがるよりほかない、、、

二十願は、そんな人に誓われた弥陀のお約束です。
『十方の人々が、南無阿弥陀仏の名号を聞いて、念仏を称え、
 その功徳の力で、我国(浄土)に生まれたいと願う者は、
 必ず、思いを遂げさせてあげよう。』と。
二十願は、植諸徳本の願と言われています。
諸々の善の本(諸徳本)、名号を植えるということです。

そこで誠心誠意、一心不乱に、
念仏を称えようと、つとめればつとめるほど、(自力の念仏)
自分の悪なる心ばかりが見えてきて、
こんな雑念で称えていてもよいのだろうか、
こんな悪い心、乱れた心で称えていても本当に助かるのだろうか、
と、不安な心が出てきます。
悪い行為をしながら称えていても、助からないように思えるので、
廃悪修善、悪を慎み善を励んで、念仏しようとするのですが、
見えてくるのは悪ばかり。
念仏に励めば励むだけ、乱れる心はとどまらず、
悪しかつくれない自己が知らされます。
教えの尊さに感激した時は、救われるようにも思えるけれど、
いったん悪性が現れると、こんなことでは救われないのではなかろうかと、
疑念が現れ、念仏を称えながらも、地獄に堕ちるような気がする。

『いずれの行も及び難き身なれば、
      とても地獄は一定すみかぞかし。』(歎異抄)


十九願で善を行い、善も出来ない身であることを知らせ、
そして二十願に廻入し、二十願で、念仏にすがるも、
自己の力のなさ、真実のかけらもないことを知らせ、
すべての自力の心が腐った時に、
一念で、次の十八願、絶対の幸福へ転入させようとするのが、
阿弥陀仏の救いなのです。

一切の助かる望みが切れた時と、大慈悲心が徹到した時とは同時で、
無辺の智恵と、無限の慈悲を体得しますから、
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」 (教行信証)
弥陀の本願まことだった、"無碍の一道に救う"弥陀の誓いに嘘はなかった、
と、底の知れない懺悔、高さの知れない歓喜、
広さの知れない苦悩の晴れた味に、遠く宿縁を喜ばずにおれないのです。
感謝に溢れ、南無阿弥陀仏と噴き出るお念仏は、
二十願のお念仏とは異なり、この念仏を、仏恩報尽の念仏というのです。


この十八願に誓われた絶対の幸福、無碍の一道に出るには、
十九願、二十願の道程を通らなければならないことを発見し、
教導なされたのが親鸞聖人です。

その体験を三願転入といいます。




自信教人信
難中転更難
大悲伝普化
真成報仏恩  
(善導大師)



最後まで読んでくださった方の、仏縁が深まりますように・・・

合掌



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ボディセラピストです。

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